1601 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
1602 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』
1603 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。
1604 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
1605 そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、
1606 その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。
1607 それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。
1608 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
1609 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。
1610 小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
1611 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
1612 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。
1613 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
1614 さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。
1615 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。
1616 律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これに入ろうとしています。
1617 しかし律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしいのです。
1618 だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。
1619 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
1620 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、
1621 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
1622 さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
1623 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
1624 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
1625 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
1626 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
1627 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。
1628 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
1629 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
1630 彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』
1631 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
1701 イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。
1702 この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。
1703 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。
1704 かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
1705 使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」
1706 しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。
1707 ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい』としもべに言うでしょうか。
1708 かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい』と言わないでしょうか。
1709 しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。
1710 あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」
1711 そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
1712 ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、
1713 声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。
1714 イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。
1715 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
1716 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
1717 そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。
1718 神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」
1719 それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
1720 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
1721 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
1722 イエスは弟子たちに言われた。「人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。
1723 人々が『こちらだ』とか、『あちらだ』とか言っても行ってはなりません。あとを追いかけてはなりません。
1724 いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。
1725 しかし、人の子はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。
1726 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。
1727 ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
1728 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
1729 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。
1730 人の子の現れる日にも、全くそのとおりです。
1731 その日には、屋上にいる者は家に家財があっても、取り出しに降りてはいけません。同じように、畑にいる者も家に帰ってはいけません。
1732 ロトの妻を思い出しなさい。
1733 自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。
1734 あなたがたに言うが、その夜、同じ寝台でふたりの人が寝ていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。
1735 女がふたりいっしょに臼をひいていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。」
1737 弟子たちは答えて言った。「主よ。どこでですか。」主は言われた。「死体のある所、そこに、はげたかも集まります。」
1801 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
1802 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
1803 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
1804 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
1805 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」
1806 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
1807 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
1808 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
1809 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
1810 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
1811 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
1812 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
1813 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
1814 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
1815 イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。
1816 しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
1817 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
1818 またある役人が、イエスに質問して言った。「尊い先生。私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
1819 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。
1820 戒めはあなたもよく知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。父と母を敬え。』」
1821 すると彼は言った。「そのようなことはみな、小さい時から守っております。」
1822 イエスはこれを聞いて、その人に言われた。「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
1823 すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。
1824 イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。
1825 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
1826 これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
1827 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
1828 すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」
1829 イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、
1830 この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」
1831 さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。
1832 人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。
1833 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
1834 しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。
1835 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。
1836 群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。
1837 ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、
1838 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。
1839 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。
1840 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。
1841 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。
1842 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、
1843 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。