列王記 第U

1601 レマルヤの子ペカの 十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となった。
1602 アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、彼の神、【主】の目にかなうことを行わず、
1603 イスラエルの王たちの道に歩み、【主】がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、忌みきらうべきならわしをまねて、自分の子どもに火の中をくぐらせることまでした。
1604 さらに彼は、高き所、丘の上、青々と茂ったすべての木の下で、いけにえをささげ、香をたいた。
1605 このとき、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、エルサレムに戦いに上って来てアハズを包囲したが、戦いに勝つことはできなかった。
1606 そのころ、アラムの王レツィンはエラテをアラムに取り返し、ユダ人をエラテから追い払った。ところが、エドム人がエラテに来て、そこに住みついた。今日もそのままである。
1607 アハズは使者たちをアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から私を救ってください。」
1608 アハズが【主】の宮と王宮の宝物倉にある銀と金を取り出して、それを贈り物として、アッシリヤの王に送ったので、
1609 アッシリヤの王は彼の願いを聞き入れた。そこでアッシリヤの王はダマスコに攻め上り、これを取り、その住民をキルへ捕らえ移した。彼はレツィンを殺した。
1610 アハズ王がアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに会うためダマスコに行ったとき、ダマスコにある祭壇を見た。すると、アハズ王は、詳細な作り方のついた、祭壇の図面とその模型を、祭司ウリヤに送った。
1611 祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから送ったものそっくりの祭壇を築いた。祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから帰って来るまでに、そのようにした。
1612 王はダマスコから帰って来た。その祭壇を見て、王は祭壇に近づき、その上でいけにえをささげた。
1613 彼は全焼のいけにえと、穀物のささげ物とを焼いて煙にし、注ぎのささげ物を注ぎ、自分のための和解のいけにえの血をこの祭壇の上に振りかけた。
1614 【主】の前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち、この祭壇と【主】の神殿との間から持って来て、この祭壇の北側に据えた。
1615 それから、アハズ王は祭司ウリヤに命じて言った。「朝の全焼のいけにえと夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のいけにえと穀物のささげ物、すべてのこの国の人々の全焼のいけにえとその穀物のささげ物、ならびにこれらに添える注ぎのささげ物を、この大祭壇の上で焼いて煙にしなさい。また全焼のいけにえの血と、他のいけにえの血はすべて、この祭壇の上に振りかけなければならない。青銅の祭壇は、私が伺いを立てるためである。」
1616 祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。
1617 アハズ王は、車輪つきの台の鏡板を切り離し、その台の上から洗盤をはずし、またその下にある青銅の牛の上から海も降ろして、それを敷石の上に置いた。
1618 彼は宮の中に造られていた安息日用のおおいのある道も、外側の王の出入口も、アッシリヤの王のために【主】の宮から取り除いた。
1619 アハズの行ったその他の業績、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
1620 アハズは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともにダビデの町に葬られた。彼の子ヒゼキヤが代わって王となった。
1701 ユダの王アハズの 十二年に、エラの子ホセアがサマリヤでイスラエルの王となり、九年間、王であった。
1702 彼は【主】の目の前に悪を行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。
1703 アッシリヤの王シャルマヌエセルが攻め上って来た。そのとき、ホセアは彼に服従して、みつぎものを納めた。
1704 しかし、アッシリヤの王はホセアの謀反に気がついた。ホセアがエジプトの王ソに使者たちを遣わし、アッシリヤの王には年々のみつぎものを納めなかったからである。それで、アッシリヤの王は彼を逮捕して牢獄につないだ。
1705 アッシリヤの王はこの国全土に攻め上り、サマリヤに攻め上って、三年間これを包囲した。
1706 ホセアの 九年に、アッシリヤの王はサマリヤを取り、イスラエル人をアッシリヤに捕らえ移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に住ませた。
1707 こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、【主】に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、
1708 【主】がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである。
1709 イスラエルの人々は、彼らの神、【主】に対して、正しくないことをひそかに行い、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町々に高き所を建て、
1710 すべての小高い丘の上や、青々と茂ったどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、
1711 【主】が彼らの前から移された異邦人のように、すべての高き所で香をたき、悪事を行って【主】の怒りを引き起こした。
1712 【主】が彼らに、「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。
1713 【主】はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダとに次のように警告して仰せられた。「あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通して、あなたがたに伝えた律法全体に従って、わたしの命令とおきてとを守れ。」
1714 しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、【主】を信じなかった彼らの先祖たちよりも、うなじのこわい者となった。
1715 彼らは主のおきてと、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告とをさげすみ、むなしいものに従って歩んだので、自分たちもむなしいものとなり、【主】が、ならってはならないと命じられた周囲の異邦人にならって歩んだ。
1716 また、彼らの神、【主】のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらに、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。
1717 また、自分たちの息子や娘たちに火の中をくぐらせ、占いをし、まじないをし、裏切って【主】の目の前に悪を行い、主の怒りを引き起こした。
1718 そこで、【主】はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から取り除いた。ただユダの部族だけしか残されなかった。
1719 ユダもまた、彼らの神、【主】の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習に従って歩んだ。
1720 そこで、【主】はイスラエルのすべての子孫をさげすみ、彼らを苦しめ、略奪者たちの手に渡し、ついに彼らを御前から投げ捨てられた。
1721 主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムは、イスラエルを【主】に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させた。
1722 イスラエルの人々は、ヤロブアムの犯したすべての罪に歩み、それをやめなかったので、
1723 ついに、【主】は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、イスラエルを御前から取り除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリヤへ引いて行かれた。今日もそのままである。
1724 アッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らは、サマリヤを占領して、その町々に住んだ。
1725 彼らがそこに住み始めたとき、彼らは【主】を恐れなかったので、【主】は彼らのうちに獅子を送られた。獅子は彼らの幾人かを殺した。
1726 そこで、彼らはアッシリヤの王に報告して言った。「あなたがサマリヤの町々に移した諸国の民は、この国の神に関するならわしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送りました。今、獅子が彼らを殺しています。彼らがこの国の神に関するならわしを知らないからです。」
1727 そこで、アッシリヤの王は命じて言った。「あなたがたがそこから捕らえ移した祭司のひとりを、そこに連れて行きなさい。行かせて、そこに住ませ、その国の神に関するならわしを教えさせなさい。」
1728 こうして、サマリヤから捕らえ移された祭司のひとりが来て、ベテルに住み、どのようにして【主】を礼拝するかを教えた。
1729 しかし、それぞれの民は、めいめい自分たちの神々を造り、サマリヤ人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分たちの住んでいる町々でそのようにした。
1730 バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネレガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、
1731 アワ人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイム人はセファルワイムの神々アデラメレクとアナメレクとに自分たちの子どもを火で焼いてささげた。
1732 彼らは【主】を礼拝し、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。
1733 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちがそこから移された諸国の民のならわしに従って、自分たちの神々にも仕えていた。
1734 彼らは今日まで、最初のならわしのとおりに行っている。彼らは【主】を恐れているのでもなく、【主】が、その名をイスラエルと名づけたヤコブの子らに命じたおきてや、定めや、律法や、命令のとおりに行っているのでもない。
1735 【主】は、イスラエル人と契約を結び、命じて言われた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝みこれに仕えてはならない。これにいけにえをささげてはならない。
1736 大きな力と、差し伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った【主】だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえをささげなければならない。
1737 主があなたがたのために書きしるしたおきてと、定めと、律法と、命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。
1738 わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。
1739 あなたがたの神、【主】だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」
1740 しかし、彼らは聞かず、先の彼らのならわしのとおりに行った。
1741 このようにして、これらの民は【主】を恐れ、同時に、彼らの刻んだ像に仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。
1801 イスラエルの王エラの子ホセアの 三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。
1802 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。
1803 彼はすべて父祖ダビデが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。
1804 彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。
1805 彼はイスラエルの神、【主】に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。
1806 彼は【主】に堅くすがって離れることなく、【主】がモーセに命じられた命令を守った。
1807 【主】は彼とともにおられた。彼はどこへ出陣しても勝利を収めた。彼はアッシリヤの王に反逆し、彼に仕えなかった。
1808 彼はペリシテ人を打ってガザにまで至り、見張りのやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破った。
1809 ヒゼキヤ王の 四年、すなわち、イスラエルの王エラの子ホセアの 七年に、アッシリヤの王シャルマヌエセルがサマリヤに攻め上って、包囲し、
1810 三年の後、これを攻め取った。つまり、ヒゼキヤの 六年、イスラエルの王ホセアの 九年に、サマリヤは攻め取られた。
1811 アッシリヤの王はイスラエル人をアッシリヤに捕らえ移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に連れて行った。
1812 これは、彼らが彼らの神、【主】の御声に聞き従わず、その契約を破り、【主】のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行わなかったからである。
1813 ヒゼキヤ王の 十四年に、アッシリヤの王セナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々を攻めて、これを取った。
1814 そこでユダの王ヒゼキヤはラキシュのアッシリヤの王のところに人をやって、言った。「私は罪を犯しました。私のところから引き揚げてください。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから。」そこで、アッシリヤの王は銀三百タラントと、金三十タラントを、ユダの王ヒゼキヤに要求した。
1815 ヒゼキヤは【主】の宮と王宮の宝物倉にある銀を全部渡した。
1816 そのとき、ヒゼキヤは、ユダの王が金を張りつけた【主】の本堂のとびらと柱から金をはぎ取り、これをアッシリヤの王に渡した。
1817 アッシリヤの王は、タルタン、ラブ・サリス、およびラブ・シャケに大軍をつけて、ラキシュからエルサレムのヒゼキヤ王のところに送った。彼らはエルサレムに上って来た。彼らはエルサレムに上って来たとき、布さらしの野への大路にある上の池の水道のそばに立った。
1818 彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である参議ヨアフが、彼らのもとに出て行った。
1819 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリヤの王がこう言っておられる。いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。
1820 口先だけのことばが、戦略であり戦力だと思い込んでいるのか。今、おまえはだれに拠り頼んで私に反逆するのか。
1821 今、おまえは、あのいたんだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、これは、それに寄りかかる者の手を刺し通すだけだ。エジプトの王、パロは、すべて彼に拠り頼む者にそうするのだ。
1822 おまえたちは私に『われわれは、われわれの神、【主】に拠り頼む』と言う。その主とは、ヒゼキヤが高き所と祭壇を取り除いておいて、ユダとエルサレムに向かい『エルサレムにあるこの祭壇の前で拝め』と言ったそういう主ではないか、と。
1823 さあ、今、私の主君、アッシリヤの王と、かけをしないか。もしおまえのほうで乗り手をそろえることができれば、私はおまえに二千頭の馬を与えよう。
1824 おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来のひとりの総督をさえ撃退することはできないのだ。
1825 今、私がこの所を滅ぼすために上って来たのは、【主】をさしおいてのことであろうか。【主】が私に『この国に攻め上って、これを滅ぼせ』と言われたのだ。」
1826 ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアフとは、ラブ・シャケに言った。「どうかしもべたちには、アラム語で話してください。われわれはアラム語がわかりますから。城壁の上にいる民の聞いている所では、われわれにユダのことばで話さないでください。」
1827 すると、ラブ・シャケは彼らに言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上にすわっている者たちのためではないか。彼らはおまえたちといっしょに、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」
1828 こうして、ラブ・シャケはつっ立って、ユダのことばで大声に呼ばわって、語って言った。「大王、アッシリヤの王のことばを聞け。
1829 王はこう言われる。ヒゼキヤにごまかされるな。あれはおまえたちを私の手から救い出すことはできない。
1830 ヒゼキヤが、【主】は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに【主】を信頼させようとするが、そうはさせない。
1831 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリヤの王はこう言っておられるからだ。私と和を結び、私に降参せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、また、自分の井戸の水を飲めるのだ。
1832 その後、私が来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行こう。そこは穀物とぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブの木と蜜の地である。それはおまえたちが生きながらえて死なないためである。たとい、ヒゼキヤが、【主】がわれわれを救い出してくださると言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに聞き従ってはならない。
1833 国々の神々が、だれか、自分の国をアッシリヤの王の手から救い出しただろうか。
1834 ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤを私の手から救い出したか。
1835 国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。【主】がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか。」
1836 民は黙っており、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。
1837 ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である参議ヨアフは、自分たちの衣を裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。

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