列王記 第U

1301 ユダの王アハズヤの子ヨアシュの 二十三年に、エフーの子エホアハズがサマリヤでイスラエルの王となり、十七年間、王であった。
1302 彼は【主】の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を犯し続けて、それをやめなかった。
1303 それで、【主】の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、【主】は彼らをアラムの王ハザエル、および、ハザエルの子ベン・ハダデの手にいつまでも渡しておられた。
1304 しかし、エホアハズが【主】に願ったので、【主】はこれを聞き入れられた。アラムの王のしいたげによって、イスラエルがしいたげられているのを見られたからである。
1305 【主】がイスラエル人にひとりの救い手を与えられたとき、イスラエルの人々はアラムの支配を脱し、以前のように、自分たちの天幕に住むようになった。
1306 それにもかかわらず、彼らはイスラエルに罪を犯させたヤロブアム家の罪を離れず、なおそれを行い続け、アシェラ像もサマリヤに立ったままであった。
1307 また、アラムの王が彼らを滅ぼして、打穀のときのちりのようにしたので、エホアハズには騎兵五十、戦車十台、歩兵一万だけの軍隊しか残されていなかった。
1308 エホアハズのその他の業績、彼の行ったすべての事、およびその功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
1309 エホアハズは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をサマリヤに葬った。彼の子ヨアシュが代わって王となった。
1310 ユダの王ヨアシュの 三十七年に、エホアハズの子ヨアシュがサマリヤでイスラエルの王となり、十六年間、王であった。
1311 彼は【主】の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れず、なおそれを行い続けた。
1312 ヨアシュのその他の業績、彼の行ったすべての事、およびユダの王アマツヤと戦ったその功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
1313 ヨアシュは彼の先祖たちとともに眠り、ヤロブアムがその王座に着いた。ヨアシュはイスラエルの王たちとともにサマリヤに葬られた。
1314 エリシャが死の病をわずらっていたときのことである。イスラエルの王ヨアシュは、彼のところに下って行き、彼の上に泣き伏して、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んだ。
1315 エリシャが王に、「弓と矢を取りなさい」と言ったので、彼は弓と矢をエリシャのところに持って行った。
1316 彼はイスラエルの王に、「弓に手をかけなさい」と言ったので、彼は手をかけた。すると、エリシャは自分の手を王の手の上にのせて、
1317 「東側の窓をあけなさい」と言ったので、彼がそれをあけると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「【主】の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを打ち、これを絶ち滅ぼす。」
1318 ついでエリシャは、「矢を取りなさい」と言った。彼が取ると、エリシャはイスラエルの王に、「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。
1319 神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」
1320 こうして、エリシャは死んで葬られた。モアブの略奪隊は、年が改まるたびにこの国に侵入していた。
1321 人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。
1322 アラムの王ハザエルは、エホアハズの生きている間中、イスラエル人をしいたげたが、
1323 【主】は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで彼らから御顔をそむけられなかった。
1324 アラムの王ハザエルは死に、その子ベン・ハダデが代わって王となった。
1325 エホアハズの子ヨアシュは、その父エホアハズの手からハザエルが戦い取った町々を、ハザエルの子ベン・ハダデの手から取り返した。すなわち、ヨアシュは三度彼を打ち破って、イスラエルの町々を取り返した。
1401 イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュの 二年に、ユダの王ヨアシュの子アマツヤが王となった。
1402 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はエホアダンといい、エルサレムの出であった。
1403 彼は【主】の目にかなうことを行ったが、彼の父祖、ダビデのようではなく、すべて父ヨアシュが行ったとおりを行った。
1404 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。
1405 王国が彼の手によって強くなると、彼は自分の父、王を打った家来たちを打ち殺した。
1406 しかし、その殺害者の子どもたちは殺さなかった。モーセの律法の書にしるされているところによったのである。【主】はこう命じておられた。「父親が子どものために殺されてはならない。子どもが父親のために殺されてはならない。人が殺されるのは、ただ、自分の罪のためにでなければならない。」
1407 アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を打ち殺し、セラを取り、その所をヨクテエルと呼んだ。今日もそうである。
1408 そのとき、アマツヤは、エフーの子エホアハズの子、イスラエルの王ヨアシュに、使者を送って言った。「さあ、勝敗を決めようではないか。」
1409 すると、イスラエルの王ヨアシュは、ユダの王アマツヤに使者を送って言った。「レバノンのあざみが、レバノンの杉に使者を送って、『あなたの娘を私の息子の嫁にくれないか』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった。
1410 あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。」
1411 しかし、アマツヤが聞き入れなかったので、イスラエルの王ヨアシュは攻め上った。それで彼とユダの王アマツヤは、ユダのベテ・シェメシュで対戦したが、
1412 ユダはイスラエルに打ち負かされ、おのおの自分の天幕に逃げ帰った。
1413 イスラエルの王ヨアシュは、アハズヤの子ヨアシュの子、ユダの王アマツヤを、ベテ・シェメシュで捕らえ、エルサレムに来て、エルサレムの城壁をエフライムの門から隅の門まで、四百キュビトにわたって打ちこわした。
1414 彼は、【主】の宮と王宮の宝物倉にあったすべての金と銀、およびすべての器具、それに人質を取って、サマリヤに帰った。
1415 ヨアシュの行ったその他の業績、その功績、およびユダの王アマツヤと戦った戦績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
1416 ヨアシュは彼の先祖たちとともに眠り、イスラエルの王たちとともにサマリヤに葬られた。彼の子ヤロブアムが代わって王となった。
1417 ユダの王ヨアシュの子アマツヤは、イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュが死んで後、なお十五年生きながらえた。
1418 アマツヤのその他の業績、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
1419 エルサレムで人々が彼に対して謀反を企てたとき、彼はラキシュに逃げた。しかし、彼らはラキシュまで追いかけて、そこで彼を殺した。
1420 彼らは彼を馬にのせて行った。彼はエルサレムで先祖たちとともにダビデの町に、葬られた。
1421 ユダの民はみな、当時十六歳であったアザルヤを立てて、その父アマツヤの代わりに王とした。
1422 彼は、アマツヤが先祖たちとともに眠って後、エラテを再建し、それをユダに復帰させた。
1423 ユダの王ヨアシュの子アマツヤの 十五年に、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムが王となり、サマリヤで四十一年間、王であった。
1424 彼は【主】の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪をやめなかった。
1425 彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、【主】が、そのしもべ、ガテ・ヘフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった。
1426 【主】がイスラエルの悩みが非常に激しいのを見られたからである。そこには、奴隷も自由の者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。
1427 【主】はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。
1428 ヤロブアムのその他の業績、彼の行ったすべての事、および彼が戦いにあげた功績、すなわち、かつてユダのものであったダマスコとハマテをイスラエルに取り戻したこと、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
1429 ヤロブアムは、彼の先祖たち、イスラエルの王たちとともに眠り、その子ゼカリヤが代わって王となった。
1501 イスラエルの王ヤロブアムの 二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。
1502 彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレムの出であった。
1503 彼はすべて父アマツヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。
1504 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。
1505 【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔ての家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、この国の人々をさばいていた。
1506 アザルヤのその他の業績、彼の行ったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
1507 アザルヤが彼の先祖たちとともに眠ったとき、人々は彼をダビデの町に先祖たちといっしょに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。
1508 ユダの王アザルヤの 三十八年に、ヤロブアムの子ゼカリヤがサマリヤでイスラエルの王となり、六か月間、王であった。
1509 彼は先祖たちがしたように、【主】の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。
1510 ヤベシュの子シャルムは、彼に対して謀反を企て、民の前で彼を打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。
1511 ゼカリヤのその他の業績は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。
1512 【主】がかつてエフーに告げて仰せられたことばは、「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」ということであったが、はたして、そのとおりになった。
1513 ユダの王ウジヤの 三十九年に、ヤベシュの子シャルムが王となり、サマリヤで一か月間、王であった。
1514 ガディの子メナヘムは、ティルツァから上ってサマリヤに至り、ヤベシュの子シャルムをサマリヤで打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。
1515 シャルムのその他の業績、彼の企てた謀反は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。
1516 そのとき、メナヘムはティルツァから出て行って、ティフサフ、その住民、その地境を打ち破った。彼らが城門を開かなかったのでこれを打ち、その中のすべての妊婦たちを切り裂いた。
1517 ユダの王アザルヤの 三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリヤで十年間、王であった。
1518 彼は【主】の目の前に悪を行い、一生、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。
1519 アッシリヤの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀一千タラントをプルに与えた。それは、プルの援助によって、王国を強くするためであった。
1520 メナヘムは、イスラエルのすべての有力な資産家にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリヤの王に与えたので、アッシリヤの王は引き返して行き、この国にとどまらなかった。
1521 メナヘムのその他の業績、彼の行ったすべての事、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
1522 メナヘムは彼の先祖たちとともに眠り、その子ペカフヤが代わって王となった。
1523 ユダの王アザルヤの 五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリヤでイスラエルの王となり、二年間、王であった。
1524 彼は【主】の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。
1525 彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリヤの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエとを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカは彼を殺し、彼に代わって王となった。
1526 ペカフヤのその他の業績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。
1527 ユダの王アザルヤの 五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリヤでイスラエルの王となり、二十年間、王であった。
1528 彼は【主】の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。
1529 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリヤへ捕らえ移した。
1530 そのとき、エラの子ホセアは、レマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打って、彼を殺し、ウジヤの子ヨタムの 二十年に、彼に代わって王となった。
1531 ペカのその他の業績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。
1532 イスラエルの王レマルヤの子ペカの 二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。
1533 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。
1534 彼は、すべて父ウジヤが行ったとおり、【主】の目にかなうことを行った。
1535 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。彼は【主】の宮の上の門を建てた。
1536 ヨタムの行ったその他の業績、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
1537 そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカをユダに送って、これを攻め始めておられた。
1538 ヨタムは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともにその父ダビデの町に葬られた。彼の子アハズが代わって王となった。

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